東海道を行こう【安倍川】

東海道を行こう[第6回]【安倍川】

今回は安倍川を超え、丸子宿までを辿っていきます


駿府城の巽櫓内の展示ジオラマ
写真の右側が駿府の中心になります
駿府から西へ行くには、江戸の昔から本通りと新通りがメインルートだったようです
ひたすらまっすぐ伸びているのがわかります

江戸時代より前の東海道は本通りのほうだったようで、
新通りは江戸初期の東海道の整備事業の一環で、慶長14年(1609)に新たに東海道に設定されました
この「新通り」という名前もこの時についたものでした

現在は本通りのほうが片側二車線の大きい道になってるのでこちらを通る方が多いです


弥勒


駿府の町から新通りをひたすら、ひたすらまっすぐ進むと、安倍川橋のたもと「弥勒(みろく)」という変わった地名の場所に
写真のむこうはもう安倍川です


由井正雪公之墓趾
【B】由井正雪公之墓趾
本通りと新通りが交わる三角コーナーにある公園、弥勒緑地由井正雪の墓があったということを示す石碑が立っています
軍学者である由井正雪は慶安4年(1651年)、幕府に対する反乱計画が露見して自害しました
いわゆる「由井正雪の乱」(慶安事件)の中心人物です
正雪の首は安倍川畔に晒された後、現在は葵区沓谷にある菩提樹院(もとは常盤公園のあたりにあったらしい)に葬られたというので、ここにこの石碑がある理由がよくわからないんです
あくまで想像ですが、誰かが安倍川で晒し首になった正雪のためにここに供養塔か何かを立ててあったのが、墓として伝わった…
というのもあるかもしれません


【C】安倍川もち せきべや
新通りと本通りが合流する微妙にアクセスしにくい場所に名物安倍川もちの老舗が
安倍川もちは簡単に言うときな粉と砂糖をまぶした餅です
静岡名物の中ではポピュラーなものですが、
ここは1804年(文化元年)創業の老舗で、できたてが食べられる茶店です

安倍川もちの由来はいくつかあって、
①一番有名なのは家康が安倍金山を視察した際、安倍川のほとりの餅屋がきな粉もちを献上
餅屋は「安倍川に流れる金の粉(きんのこ→きなこ)をまぶした」と洒落たことを言い、
家康がたいそう気に入って「安倍川餅」と名付けたという説
②弥勒院という山伏が二丁町の遊女に夢中になり破門され、
還俗して源右衛門と名のり、この地で餅を売り出したという説
③五郎右衛門という男が、東新田(安倍川を渡ったところにある地名)の米を使い、丸子の宿で売ったという説
…真偽やいかに


【D】安倍川義夫の碑
元文3年(1738)初秋ごろ、紀州の旅人が東海道を西へ向かっていた
安倍川の渡し賃が高いので、

歩いて渡ろうとしたところ、財布を落としてしまった
たまたまそれを見ていた人足が気付いて旅人を追い、
同じく財布を無くしたことに気づいた旅人も宇津ノ谷峠から引き返してきて
無事財布を渡すことができた
旅人はお礼にとお金を渡そうとしたが、
人足は「拾ったものを返すのはあたりまえだ」とどうしても金を受け取らなかった
そこで旅人は駿府の町奉行所に金を届けて、
奉行所は人足を呼び出して金を渡そうとしたが、それでも受け取らない
そこで奉行所は旅人に金を返して、代わりに人足に褒美をやった

と、こういう話があって、これは人足を讃える顕彰碑です
奉行所経由で礼を渡そうとする旅人もすごいし、それでも受け取らない喜兵衛も頑固です
といっても「安倍川義夫!!」なんていうからにはもっと壮大な話かと思いきや
ふたを開けたらちょっとしたいい話

この石碑は昭和4年に当時の静岡県知事の呼びかけで静岡新聞社の協賛を得て、
全国からの20万人以上の義援金によって建てられました
(人足の名前は「硯屋日記」という古文書から「喜兵衛」と判明したそうです)
こう言っちゃ失礼ですが少々大げさなんじゃ…
旅人が持ってたのが150両とかなりの高額だったのもあるのかもしれませんが


安倍川

雄大な安倍川の河川敷はスポーツグラウンドや遊水公園もあって、のんびりできます
平日でも、犬の散歩をしてる人や、ちょっと休憩中のサラリーマン、部活の子らなどが
各々のんびりした時間を過ごしています
安倍川河川敷
都会のすぐそばにこんな場所があったら、のんびりしたくもなりまさぁよ…

安倍川はもともと今より東側に向かって流れ、幾筋も枝分かれして駿河湾に注いでいました
駿府を統治した大御所時代の徳川家康は、天下普請の一環として
安倍川の流路を藁科川と合流させて西へ曲げるという大規模な治水事業を行います
これにより駿府の町は発展することになります

この当時の東海道の大規模な川と同様、安倍川にも橋は架けられず
川会所がおかれ、川越し人足が旅人を向こう岸まで渡すということが行われました
川越制度については以前書いた大井川の記事を参照してみてください

大井川へ行ってきた【中編・大井川川越遺跡】


【E】安倍川橋東
安倍川のむこうに山々の連なりが見えます
グーグルマップの航空写真を見れば一目瞭然ですが、
東海道はこの山々の間を抜けていくことになります
一部、どうしても峠越えをしなければなりませんが、
大丈夫、箱根ほど険しい道ではありません

何でわざわざ山を抜けるのか、海岸を通ればいいじゃないかと思った人は
暇ならグーグルマップの航空写真で海岸部を見てみましょう…ここはヤバいんです


【F】安倍川橋西
無事、安倍川を超えました
たまには後ろを振り返ってみましょう
この日は富士山がよく見えました

今回はここまで


安倍川緑地
ちなみに今回は次の丸子宿へ行くために車に自転車を積んで安倍川河川敷に来ました
僕はよくロードバイクに乗るんですが、1日に100kmスイーッと走れるようなガチ勢ではないので
(特に最近は乗ってなかった…)
こういうタダで車がおける場所は大好物…
オススメです
ここを拠点に遠くまでサイクリングできます

風来のやよいちゃん3


参考文献

「静岡県の不思議事典」(新人物往来社)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。