【歴旅】大井川②

蓬莱橋から上流へ少し行くと、島田宿や大井川の川越しについてよくわかる「大井川川越遺跡」および「島田市博物館」があります

博物館にも駐車場がありますが、この辺りはスポーツグラウンドが充実しているので、すぐ下の河川敷にも大きな無料駐車場があります
ここを起点にサイクリングなどをするのもオススメです

前半にも書きましたが、江戸時代に大井川に橋を架けることは禁じられていました
ついでに船で渡るのも禁止
じゃあどうやって渡るのかというと、「川越人足」(かわごしにんそく)という人たちに肩車してもらうか、その人足たちが担ぐ「連台」に乗って渡るしかなかったのです

今回はいかにも江戸時代らしく、ガラパゴス化(?)したややこしく面倒な川越制度をできるだけわかりやすく紹介していきます


目次

川会所

大井川 川会所 

川を渡りたい人は「川会所」(かわかいしょ)という役所で、「川札」というチケットを買って人足を雇いました
つまり、人に運んでもらうわけです
川札一枚につき人足一人を雇えるシステムになっています
写真は復元された川会所の建物

川札一枚の値段は毎朝その日の水深と広さで決まります
寛政年間(1789-1801)ごろを例にとると、四十八文(約1440円)~九十四文(2820円)の16段階の幅がありました
大井川の「常水」(という言葉は今で言えば飲料水のことですが、この場合川越賃銭等を決定する標準水深)は二尺五寸(約76cm)で、この数値を基準に諸々の取り決めがなされていました
基準の倍、五尺まで増水すると、安全のために「川留め」となり、通行禁止となりました

こういった取り決めをもとに円滑に業務を運営するのが川会所に勤める川役人の務めでした


肩車越し・馬越し

一番安く済ませたければ、川札一枚買って、人足一人に肩車してもらうということになる
正直嫌でしょ…特に女性は
でもそういうシステムだから

ちなみに増水時に肩車で渡るときは、補助の人足としてもう一人必要で、この場合はその追加の人足の分の川札を買わなければなりませんでした
さらに水深三尺五寸(約1m6cm)まで増水すると肩車自体差し留めになり、「連台を使ってね」ということになります
金ばっかかかってしょうがないですね

今の感覚からすると、ちょっとはサービスしろと思うかもしれませんが、
当時の大井川は今と違って水量が多く、危険でした
川越人足たちは訓練によって徒渉技術を身に着けた職能集団であり、ちゃんとしたシステムの上でお客の命を預かるので、金がかかるのは仕方なかった、ともいえます

士分(正規の武士身分)の者は少しの増水時までなら、乗馬のまま川越しができたようです
(ただしその場合も人足がそれに付き従うため、川札は必要)


連台越し

大井川 大高欄連台

連台にはただのハシゴのようなものから、いかにも偉い人が乗るようなものまで種類がありました
見た目がいかついものほど多くの人足が必要なので、お金もかかります
しかも連台の使用料金として「台札」というのも買わなければならなりませんでした
そしてやっぱり、見た目がいかついものほど多くの台札が必要
上の写真のやつはもはや大名クラスが乗るもので、これは庶民には手が届かないものでした

ここで少し、大名の川越しについてのお話を
各大名家は参勤交代があるので、多くの家臣を連れて川越しをします
小大名でも100人以上、大大名では300人以上の人間が川を渡るわけだから、
想像を絶するカネと人が動き、連台も山ほど必要で、両川岸には数えきれないほどの連台が山ほど積み重ねられていたそう
さらに、大名によっては「マイ連台」ともいうべき、華美な装飾を施したオリジナル連台を持参してくる人達もいて、そういうのは大抵普通の連台よりも多くの人足が必要で、ただでさえ金がかかってヒイヒイ言ってるわりに、見栄のためにそういうことをするわけだから、なんというか、スゴイですねとしか言いようがないわけで…


参考文献

「大井川の川越し」(島田市教育委員会)




コメント

  1. […] 大井川へ行ってきた【中編・大井川川越遺跡】 […]

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