目次
はじめに
僕の地元は静岡市の清水区で、東海道の宿場町の一つ江尻宿がありました
それなのに、東海道がどこを通っていて、どこら辺が宿場町の中心だったのかなど
あまり詳しく知りませんでした
そのため、地元民としてこれじゃあいかんということで、
一度旧東海道を調べ、たどってみようと思った次第であります
江戸時代に整備された五街道のうち、江戸から京都までを結ぶ東海道
その名残りは現代の道にも意外と多く見ることができます
今回道をたどってみると、
「こんな所に石碑があったのか」とか、「こんなところに説明板が!?」とか
普通に車や自転車で素通りしたらわからないような歴史の痕跡が見えてきました
そこで、地元以外の道も見てみようという気になったのですが、
とりあえず今回は東海道18番目の宿場町「江尻宿」の紹介です
近所なので自転車にSONYのアクションカム「HDR-AS50」をつけて撮影
数年前に買ってあまり使ってなかったのでこれから有意義に活用したいと思います
マップのアルファベットの地点を写真付きで説明していきます
スタート
【A】袖師交差点
東名清水インター方面から清水港へと繋がる県道338号を通り、国道1号と交差する
袖師(そでし)の交差点からスタート
東の興津方面から来ると、この辺から清水の市街地が始まるというあたりで
写真は国道1号線を西向き(正確には南西)に見た景色
この国1がしばらく旧東海道と重なるので、まっすぐGO
【B】辻町交差点
写真の地点をそのまま何も考えずに真っすぐ行くと国1(②)ですが、①が旧東海道
旧道めぐりをすると、こういった場所は多々あります
当然、現代のメインルートと昔のメインルートは違い、
重なり合ってる場所もあれば重なってない場所もある・・・
注意しないと素通りしてしまうのです!!
細井の松原
【C】細井の松原
国1と旧東海道が分かれる股の部分に、「細井の松原」跡があります
以前からなんかあるというのは気付いていたのですが、止まってまじまじ見るのは初めて
東海道53次の宿場が制定されると、東海道は整備され、街道の両側には松が植えられました
街道の樹木は旅人を日差しや風から守って安全な旅ができるようにとの配慮で、理にかなっています
道に迷わないための目印にもなります
ここもかつて、元禄の駿河代官の検地によれば、360mの道に206本の松が植えられており、
名所のひとつだったそうで、松原せんべいというものが名物として売られていたとか
ですが、ここに植えられていた松はすべて太平洋戦争の航空機燃料として伐採されました
現在の松は平成4年に植えられた、いわば記念碑のようなものです
江戸時代にはもっと海岸線が迫っており、三保松原も見えたようですが、
地図を見てもらえればなんとなくわかる通り、今は埋め立て地があってここから海を見るのは無理ですね
宿場町
【D】江尻宿東木戸があった場所
痕跡は全くありませんが、ここが宿場町の東の出入口
ふ~ん、学生時代から自転車でよく通ってたけど、そんなこと考えもしなかった
ここから13町(約1.4km)が宿内でした
天保14年(1843年)の記録では戸数1340戸、人口6498人
旅籠の数は50軒で、やや大きな宿場町でした
【E】清水銀座商店街との交差点
清水銀座商店街との交差点を右折
これはわざわざ調べなければわからないでしょ
地元に住んでいながら、考えたことありませんでした
清水銀座商店街
この商店街はJR清水駅のほうから「駅前銀座」-「清水銀座」と続いているんですが、
今のご時世の例にもれずシャッターが下りた店が多くなってますね
最近ようやく駅前のほうは盛り返す兆しが見えてきたような感じがしますが、
こちらはまだまだですね
参勤交代の大名などが宿泊した「本陣」跡
写真の石碑の寺尾本陣は、建坪390坪の2階建ての大きな建物だったそうです
【F】魚町交差点
「魚町」という交差点が見えてきました
江戸時代より前に巴川の水運を利用して魚の水揚げが行われていた場所で、
それを考えると相当古い名前ですね
(現在の町名ではありません)
この辺りに高札場と問屋場があったようです
東海道はここを左に曲がり、すぐに巴川に出ます
ちなみにここからまっすぐ向こうに木が見えますよね
あそこには「魚町稲荷神社」という小さな神社があり
その向こうに、あの有名な戦国大名が築かせた城郭が広がっていました
実はこれ、この宿場にとってとても重要なことなので、
それについては後日紹介したいと思います
【G】稚児橋
巴川に架かる「カッパ橋」「稚児橋」(ちごばし)
慶長12年に架設されました
当時は高欄の立派な木造橋だったようです
今は河童の像が出迎えてくれます
河童の像があるのは、この橋が完成し、渡り初めをしようとした時に、
急に現れた子供が先に渡って行ってしまって、あれはきっと河童だろうという、
当時バカウケしたであろうハプニングが伝わっているからです
稚児橋からの眺め
江尻宿を含む静岡市清水区(旧清水市)はこの巴川が駿河湾に注ぐ三角州にあります
この写真のもっと先にある清水港は、湾曲した地形と突き出した三保半島によって波が穏やかな良質な港で、古くから海上交易や海運業で栄えました
江戸時代も江戸へ物資を運ぶ重要な港として位置づけられていました
【H】入江二丁目交差点
ここを右折
これ以降しばらくはわかりづらい曲がり角もなく進めます
【I】江尻宿西木戸があった場所
ここにかつて木戸があり、江尻宿の西の出入口になります
やはり何の痕跡もありません
2018年1月の日付のグーグルストリートビューでは右側の縞模様のビニールテントがある建物の左側あたりに石碑があったんですが、街灯と一緒に無くなってますね…(?)
後日確認したところ、ここにありました
通行の邪魔にならない位置に移動してますね
今回はここまで
旧東海道のルートに限って進むととても地味なんですが
現在の清水は駅周辺や港湾部のほうが栄えています
今回のような、旧街道のルートをたどる記事だけでなくその周辺まで拡大した、より突っ込んだ内容の記事も並行して書く予定でいます
おまけ
旧街道からは逸れますが、清水駅の近くの目立たない場所に
古くからある、知る人ぞ知る「きんつば屋」があります
画像検索で「きんつば」って入れて出てくる皮の薄い上品なやつじゃなくて
皮厚くてモチっとしててアンコギシィッッ!のワイルドスイーツです(1個100円)
昔祖父母の家でよく食べてたので年寄りの食い物のイメージだったんですけど超ウマイですね
参考文献
「季刊清水48号」戸田書店
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