将軍直属の家臣を表す旗本と御家人……誰もが義務教育で習う言葉ですが、
教科書レベルの説明でこんな事を言われてもピンと来ない言葉のひとつだと思います
やっぱりこれがしっくりわかるのは時代劇を見たり読んだりするのが一番で
「ああ、旗本は大きな屋敷に住んでイバってるのか」とか「御家人は下っ端で貧乏なんだな」
……などと、晩酌でもしながら考えるとよくわかります
よく出てくる言葉なので少し整理します
もともとの言葉の意味を調べると
「御家人」というのは貴族や武士に従属していた者、つまり「家臣」を意味する言葉です
「旗本」は戦で大将を守る親衛隊の武士なので、広い意味では「御家人」といえます
なので徳川幕府においても、はじめの頃は譜代大名も含めて全ての家臣を「御家人」と呼んでいました
後に身分を分けるために「旗本」といって区別したんですね
目次
旗本・御家人は将軍の直臣!…の中の直参
幕府に限らず主君に直接仕える家臣は「直臣」と呼ばれますが、
その中でも旗本・御家人は「直参」と呼ばれ、大名とは区別されます
こういう区分ができた経緯ですが、
家康に仕えた武将、本多忠勝とか、井伊直政などといった大部隊を率いたような人たちは当然大名になって、伊勢桑名藩10万石!とかいうお殿様になれるわけです
徳川の直臣大名だから「譜代大名」と呼ばれ、老中や若年寄など、幕府の重職に就くので、今でいう内閣の閣僚級です
でも当然、全員が大名になれるわけがないので、残りが旗本・御家人です
大名ではないけど、家康に昔から仕えている家とか、有名な戦国大名の子孫とか、
そういう人たちには特別扱いをしないわけにはいかないので
旗本として、残りの御家人と差をつけました
ちなみに上の図で「陪臣」とあるのは大名・旗本・御家人の家来のことです
大名の家臣で1万石以上あったとしても陪臣は陪臣で、大名ではありません
旗本・御家人の違い
まず石高(年収)の差がかなりあり、
旗本は一般的に、100石以上一万石未満といわれています、御家人はそれ以下というわけです
ただ、実際は20俵の小さな旗本もいたので、その辺りの明確なルールはないようです
一番はっきりとわかる違いが、将軍に謁見できるか否かということです
旗本は謁見できるので「御目見以上」
御家人は謁見できないので「御目見以下」
幕府に限らず武家社会というのは主君に謁見できるかできないかで身分に差をつけるものです
このことだけとってみても今の社会から見れば面倒くさい世界ですが
身分の差をつけること自体が物事を円滑にまとめるシステムであるというのは
人間世界古今東西、何も珍しいものではありません
さきほど大名は現在の内閣閣僚クラスにもなれるといいましたが、
旗本の場合は、頑張れば今でいう東京都知事・警視総監・消防総監・東京地方裁判所長官をひっくるめた江戸町奉行になれるかもしれません…これが旗本の最高職です
時代劇で有名な大岡越前や遠山の金さんはこの最大最強の旗本です
そんな人が遊び人に扮して町をブラブラしてたらヤバすぎるだろどう考えても……
あとは御家人ではとても手の届かない「勘定奉行」や「大目付」などの重職につくこともできます
役職にありつけるとは限らない
だいたい江戸時代通して旗本の総数は5300人前後、御家人は17000人前後いました
これだけいると役職にありつけるとは限りません
役職についていない武士は、3000石以上の旗本は「寄合」というものに入り、ここで推薦や斡旋を受けます
それ以外の旗本と御家人は「小普請組(こぶしんぐみ)」に入りました
「小普請」とは小規模な修繕や造営のことで、もともとは修繕のための人夫を派遣する役だったのですが、元禄3年(1690)から単に人夫を派遣する代わりに金を納めるだけとなりました
これを「小普請金」といいます
要するに無役でも俸禄はもらえますが、家禄に応じた小普請金をとられるので生活は厳しくなり
就職活動に躍起になったというわけです
参考文献
「歴史人 2014年7月号」(KKベストセラーズ)
「お江戸の役人 面白なんでも事典」仲江克己(PHP文庫)