【歴旅】東海道 府中宿

今回は東海道53次19番目の宿場町、府中宿をたどります
府中宿のある静岡市中心部は言わずと知れた、徳川家康の人質時代を過ごした場所であり、戦国大名期後期(五ヶ国領有時代)と大御所時代の本拠地でもあります
なので家康公とはとてもゆかりが深く、随所にその痕跡が残ります

「府中」という言葉はいわゆる行政の中心地…今でいう県庁所在地みたいなもので各地に同じ地名が残っています(東京の府中市などが有名ですね)
ここ静岡市の場合は駿河の府中ということで「駿府(すんぷ)」と言った方が馴染みが深いです
今回は歩いて探索します


目次

横田町


【A】府中宿の東見附(東の端)がある横田町からスタートです

右の道が旧東海道(左は国道1号)

ここはもう静岡市中心部にかなり近いですが、となりの国道1号がメインルートなため、その分交通量は控えめで、のんびりとした昔ながらの商店が並ぶ町です


とはいえ、いきなりウェスタンなおっさんが鎮座していたり、
「ヨコタッキーフライドチキン」という名物が軽いインパクトを与えてくれます
昔から地元で親しまれてきた感バツグンの年季の入った個人商店群


この府中宿にはこのような、昔の町名を記憶にとどめるための石碑が所々に設置されています
この辺の力の入れようはさすがおまち…
(昔清水市の人々は静岡市のことを羨望をこめてそう呼んだという)
横田町は昔、上横田町と下横田町に分かれて存在していました

府中の散歩道
「府中の散歩道」……ってなんだこれ
ユルい


伝馬町


つつじ通りとの交差点(写真は北の方向を向いてます)
ここを超えるとガラリと町の雰囲気が変わり交通量も増え、
静岡市の中心部に入っていきます


【B】久能山東照宮道の記念碑
これは何なのか…と調べたところ、ここが家康公を祀る久能山東照宮へと続く、久能街道の起点であるとのこと
……現在のイメージだと、久能街道は静岡市の南の海岸線を通る道(いちごのハウス栽培が盛んに行われているので「いちご海岸」などと呼んでました)ぐらいなんですけど、昔はここから始まっていたんですね
東海道を通る大名がここを通って、久能山へ参拝していたそうです

花陽院門前町
【C】花陽院門前町の碑
現在地名は残っていませんが、この石碑があるあたりは「花陽院門前町」という町でした
家康公の祖母源応尼の菩提寺「花陽院」があった(今もあります)からです
やはりここも大名たちが参拝に訪れました


伝馬町交差点
今も都会ですが、府中宿はかつても東海道最大規模の宿場町でした
伝馬町はその名の通り、伝馬の機能設備がおかれた場所からその地名がつきました
これも全国の城下町にある地名です

知らないメロンパンの店ができてる…
メロンパン一本で勝負するとか、なんかすげえ


【D】本陣・脇本陣がこのあたりにあったようです
このような宿場に特徴的な施設については以前書いた記事で説明しているので
興味がある方は参照してみてください

【江戸時代の基礎知識】五街道の整備
当歴史ブログでは、主に江戸時代に関しての記事を書いていくのですが、江戸時代といえば、街道が整備され、より多くの人やモノが行き交うようになった時代といえますそこで今回は江戸時代の街道についての基礎知識をまとめてみたいと思います今の舗装された道

伝馬町西交差点
多くの人が行きかうスクランブル交差点
ここをまっすぐ行きます

西郷隆盛・山岡鉄舟会見の地【E】西郷隆盛・山岡鉄舟会見の碑
おお~イラスト付きの説明板!
前はこんなのなかったと思うので、多分大河ドラマ「西郷どん」に合わせて作ったのかな?
ここは戊辰戦争で西郷隆盛率いる新政府軍が駿府まで進軍した時、
勝海舟の親書をたずさえた山岡鉄舟が、
徳川慶喜への処遇や江戸攻撃についての事前交渉を行った場所です
江戸攻撃は鉄舟と勝海舟の巧みな交渉で回避されました(もちろん交渉だけの力ではありませんが…)
第3回でも少し触れましたが、清水には鉄舟が再興した鉄舟寺という寺などもあり、静岡とは縁の深い人物です
山岡鉄舟についてはいつかまとめて記事にするかもしれません


江川町の大きい交差点を右に少し入るともう駿府城の南東の石垣と堀が見えてきますが、
駿府城については近日まとめて記事にします




呉服町


旧東海道は江川町の交差点を左に折れ、呉服町方面へ向かいます

【G】呉服町交差点
ここを右へ


呉服町商店街は静岡市の中でも最も歩行者で賑わう町です
大きい商業施設ができてもここの賑わいは変わってません

静岡市葵区役所前
左へ行けば青葉シンボルロードという並木道が続きます


【H】平成30年10月26日というごく最近オープンした再開発ビル「札の辻クロス」の威容
何か必殺技みたいな名前ですが…


この辺りはかつて札の辻があった場所なのです
ここは駿府城大手門正面の町の入口だったため、高札場が置かれました
最新のビルにもその名前は受け継がれています


【I】門のようなオブジェが見えてきました
旧東海道はここを左に曲がります


はるか遠くまで続く真っすぐな道「新通り
ここからずーーっと真っすぐ安倍川まで続きます

今回はここまで
やはり見るべきものが多いと記事が書きやすい


おまけ


少し東海道の道筋からは外れますが、周辺の歴史スポットをいくつか紹介


十返舎一九生家跡
江戸時代のベストセラー「東海道中膝栗毛」の作者十返舎一九の生家跡地
彼はこの両替町で駿府町奉行の同心の長男として生まれました
「東海道中膝栗毛」といえば、弥二さん喜多さんのおふざけ珍道中で、
今でいえばギャグ漫画みたいなものなんですが
そんな話をこの時代、元武士だった人間が書いて大ヒットするんだからわからないものです



駿府銀座発祥の地
銀座は「銀貨鋳造所」のことです
徳川幕府ができたころ、銀貨は秤量貨幣(重さと品質で価値を決める)として関西から全国へ広がる勢いを見せていたため、急ピッチで統一された銀貨を作る必要に迫られました
幕府は全国から銀貨を買い集め、吹き直しを行いました
駿府の銀座は慶長11年(1606年)に設立され、家康の死後慶長17年(1612年)に江戸に移転しました
その銀座が今も東京の地名として残っています
ちなみにここでは紹介しませんが、駿府には金座もありました



小梳神社
先ほどは呉服町交差点を右へ進みましたが、左に行けばJR静岡駅方面へ向かいます
その途中ビルの間に小梳神社があります
徳川家康が人質として駿府に来た際、今川義元に対面する前に参拝した場所です
その後も駿府の守護として信仰を集めています
この日はちょうどお祭りが行われてました


しばらく地元のバンドが演奏するレゲエ風(だったと思う)の音楽に耳を傾けました
こんな都会のド真ん中ですが、神社が人々の憩いの場になってるのはいいですね




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