前回に引き続き駿府城の探索です
今回はいよいよ、二の丸と本丸に入っていくわけですが、
その前に駿府城の歴史を見ていきましょう
目次
駿府城の歴史
本能寺の変で織田信長が倒れたのち、徳川家康は東日本を中心に着々と基盤を広げていきました
そして、三河、遠江、駿河、甲斐、信濃の五ヶ国を支配する大大名へとのし上がります
この辺の時代は西日本で天下統一に突き進む豊臣秀吉が主役なので、
家康がその影でやっていたことがあまり話題に上ることは少ないです
駿府城はそんな五ヶ国領有時代の家康が、新たな本拠地として築いた城です
天正13年(1585)から本格的に築城が開始されました
その後、天正18年(1590)家康が秀吉により関東へ領地替えさせられると、
駿府城は豊臣政権の城となり、秀吉は配下の武将、中村一氏を置きます
平成28年から続いている天守台発掘調査で、この時期の天守台の石垣や
おそらくこの時代のものだと思われる金箔瓦が多数出土され注目されています
秀吉の死後、家康が関ヶ原の戦に勝利すると
慶長6年(1601)家康の信頼の厚い武将、内藤信成が入ります
そして、慶長10年(1605)家康は将軍職を息子の秀忠に譲ると
翌11年、駿府城は家康が直接治める城となります
この家康が亡くなるまでの大御所統治時代10年間で、駿府は大いに発展しました
家康死後、元和2年(1616)家康の10男徳川頼宣が藩主を務めるも
同5年に和歌山へ転封してしまいます
(これが御三家のひとつ紀州藩のはじまり)
藩主がいなくなった駿府城は幕府が直接治める城となり、
城代がおかれることとなります
(1619~1625)
寛永2年(1625)三代将軍家光の弟、徳川忠長が治める城となりますが
素行不良を理由に改易させられると
1632年から幕末までずっと、236年間幕府の直轄領として城代の支配となりました
静岡の江戸時代が、家康がいた時以外あまり話題にならないのはこれだからですね
〇〇藩とか大名家の支配だったら、代替わりのお家騒動とかすったもんだがあるんですけど
よく言えば恵まれている、悪く言えば地味…といったところでしょうか
駿府城のみどころ
●駿府城公園(二の丸・本丸跡)
二の丸と本丸は現在、駿府城公園として市民の憩いの場所になっています
木々もたくさん植えられておりのんびり散策するにはとてもいい場所です
北東に「紅葉山庭園」というのもあるので日本庭園が好きな方はぜひどうぞ(有料ですけど)
二の丸と本丸の間の堀(本丸堀)は明治時代にすべて埋められてしまいましたが
現在は発掘調査で出てきた堀の一部を見ることができます
二の丸水路
本丸堀と二の丸堀を繋げる水路です
こちらも発掘調査で姿を現した遺構で、底にも石が敷き詰められた珍しいものでした
城の中央部、本丸跡には花壇やベンチがあって、よりいっそうのんびりした空間になってます
ここに本丸御殿がありました
テレビなどで使われることが多い有名な家康像もここにあります
これは大御所時代の家康
静岡にはいくつか家康像がありますが、これが一番スタイリッシュで好きですね
あの家康でもカッコよくしようと思えばできるんだなと…
ついでに静岡駅にある家康像も紹介
幼少期の家康
いい待ち合わせスポットになっとる
右は五ヶ国を支配した戦国大名期の家康
今回初めて近くに行きましたけど、意外とデカイ
前回紹介した二つの櫓にも入ることができます(有料)
双方とも中は資料館になっています
●天守台発掘現場
平成30年(2019)1月現在、駿府城の天守台の発掘調査が行われています
発掘現場は一般公開されており、平日・休日ともに無料で見ることができます
天守台の大きさはまさに大御所の威光か、江戸城の天守台をはるかに上回る西辺約68メートル、北辺約61メートル
5層(または6層)7階建ての巨大な天守があったのですが、寛永12年(1635)の火事で焼失、その後江戸城と同じく再建されませんでした
想像ですけど家康が死んだあとの駿府城の扱いには皆困ったんじゃないでしょうか
もう最高権力者の城じゃないけど、家康がいた城だから無下にもできないし…
そこに城主を置くのも何か将軍にとってはスッキリしない…
ということでずっと城代に管理させるということに落ち着いたんじゃないでしょうか
天守台は駿府城本丸の北西部にあり、明治に取り壊されてしまいました(もったいな)
そして天守台を壊したときに出た土砂で本丸堀も埋められてしまったので、
今回発掘しているのはその堀と、堀部分の(地表より下の)石垣部分です
一番簡単に表すとだいたいこんな感じになります
豊臣が天正期に作った天守台を、徳川が埋めて北西に拡張した形ですね
今回の発掘で家康が豊臣政権によって関東へ国替えになったあとの、
豊臣政権の天守台の石垣が発掘され、話題になりました
南東部分から見ることができる天正期に豊臣政権が積んだ石垣
ゴツゴツした野面積みの石垣だということがわかります
これは江戸時代からずっと土に埋まってパッケージングされていたものなので
戦国時代そのままの状態を見ていることになります
これはすごく貴重ですね
この付近から豊臣の天守の瓦だと思われる金箔瓦も多数出土しています
豊臣政権の天守はどんなものだったのか今ではほとんどわかっていません
秀吉好みの金ピカ瓦が屋根に光っていたのかな…と想像にまかせるしかないのです
こちら3点は北側から見た石垣
前回石垣の積み方(加工)について少し言及しましたが、
これは南西部分の石垣に比べて積み方が古い打ち込み接なので、家康の慶長年間の工事のときのものだと推測されています
さきほどの南西部分の石垣はきっちり加工して隙間なく石を積む切り込み接なので
後で積みなおされたものだと考えられます
つまりこの発掘現場では石垣の加工による三種の積み方を全部見ることができるということです
発掘は2020年2月まで実施される予定です
こんな機会は滅多にないので足を運んでみてはいかがでしょうか
発掘情報館きゃっしる
発掘された瓦などを見ることができる臨時の情報館も設営されてます
右写真奥のプレハブがそうです
結構来場者多いみたいです
外見からは想像つかないですが、非常にオープンな雰囲気でした
「SNSにも投稿してね」ってのが現代っぽいですね
ここでしか手に入らないレアなガイドブック(500円)とパンフ(200円)は
この隣の事務所(まんま発掘現場の事務所)で買えます
おまけ
駿府公園に最近オープンした「おでん屋おばちゃん」
外でも中でも気軽におでんが食べられます
散策の休憩にちょうどよくてありがたい
黒はんぺんですが、多くの静岡県民と同じく僕も長いことこれが普通のはんぺんだと思ってました
おでんは美味くていいんですけど
甘酒がちょっと…
僕は寒空の下で甘酒を飲んでたそがれるのが好きなんですけど、
店内でグツグツ煮てるアツアツの甘酒が飲みたいんすよね~…
参考文献
「見て歩いてなるほど!駿府城まるわかり」静岡市観光交流文化局歴史文化課(静岡市)
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