江戸時代の基礎知識【江戸町奉行】

江戸時代の基礎知識【江戸町奉行】

江戸町奉行所って?

江戸時代を扱った物語は多くありますが
やはり一番多く舞台になる場所は「江戸」

言わずと知れた現在の東京です

そしてその江戸の行政や治安維持を担当するのが江戸町奉行所
その下で働く与力・同心・岡っ引きといった人たちは
昔から時代劇の顔といってもいいでしょう
なんだかんだで古今東西、悪いやつをとっ捕まえる話は人気です

…江戸町奉行の知識があれば江戸時代の創作を扱う上で大きな助けになるので
今回はその辺の基礎知識ざっくりまとめたいと思います

江戸城


江戸町奉行所の管轄

江戸町奉行所の管轄範囲は、ざっくり言うと江戸府内
要するに江戸の町ってことです
江戸がどんどん大きくなるにつれて範囲も広がっていき、
慶長年間では三百町であったのが、
末期の天保年間には千六百七十九町にまで増えました

奉行所は二か所、「北町奉行所」「南町奉行所」がありました
誤解しがちなのが、
管轄区域で分けているわけではなく、
この二か所が月番で交代して門を開いているということです

「門を開いてる」というのは要するに
「訴訟を受け付けてますよ」ってこと

非番の月は門を閉じて、くぐり戸だけ開けます
非番というとまた誤解がありそうですが、
前の月に受けた訴えを処理するなど、仕事はあります
市中見回りする役人達にとってはあまり関係ありません

庶民にとっても、開いてるほうに訴えを出せばいいので関係なかったでしょうが
「遠山の金さん」などのお話ができるくらいだから、
どちらのお奉行様が人気かというのはあったんでしょうね

 

北町奉行所跡
北町奉行所跡は現在の丸の内にある

江戸町奉行所に関わる人々

 

江戸町奉行

町奉行所

言わずと知れた江戸町奉行所の最高責任者です
定員は二名
北町・南町にそれぞれ配置されます
職務内容は、

・武家・寺社を除く民政一般
・町人の訴訟の裁決
・刑罰の執行
・消防の指揮
・犯罪の取り締まり
・道路・橋梁・上水の維持管理

など、多岐に渡っています

今でいう東京都知事・警視総監・消防総監・東京地方裁判所長官をひっくるめたような職だとよく例えられます
ふんぞり返って偉そうにしている余裕ありません
町奉行の職についたら長生きできないと言われるほど、忙しいので有名でした

この話を聞くたびに思うんですけど、
200年以上もあるのにもっと役職を分けるとかなかったのかと
他に暇そうにしてるやついっぱいいそうですけど…

 

与力と同心

同心

奉行所に勤務する武士です

時代ものを扱う創作で、江戸町奉行所の役人として頻繁に出てきますが
与力同心という呼び方は江戸町奉行所に限ったものではなく、
江戸時代の武士の様々な役職で当たり前のように使われています

奉行所の与力といえばとっても偉いようなイメージがありますが、
双方とも御家人だから下級武士です
そんな下級武士の中でも身分差があって、与力が管理職なら同心はヒラ
みたいな感じです
身分の差がそのまま役職の違いにもなってました

与力は人数の単位では、一騎、ニ騎とか…「騎」を使います
(普段の会話で使ってたかどうかは知りませんけど)
与力の語源は「寄騎」で、戦闘で馬に乗れる立場の者からきているからです
同心の単位は普通に「人」
徒歩(かち)…つまり歩兵由来ってことですね

とはいっても、奉行所の与力が馬を飼ってるわけではありません
馬は奉行所で飼っていて、
与力が馬に乗るのは罪人引き回しの検使など、役目柄必要なときに乗りました
200石以上の旗本などのように、しっかり馬を飼ってそれで登城しなさいというのとでは
だいぶ違います

各人数はだいたい与力50騎、同心240人
これを北町と南町で半分づつに分けます

与力も同心も、役割によって細かく分けることができます
よく時代小説などで出てくるのが定町廻り同心だとか、臨時廻り同心だとか
与力なら吟味方与力とか…
まったくの事務方もいます
今回は基礎知識なので細かい役割については別記事に回そうかと思います

 

岡っ引き

岡っ引き

岡っ引きという言葉は誰もが聞いたことがあると思います
同心たちの手下として聞き込み調査をしたり犯罪者を捕縛したり…
ドラマなどではおなじみのキャラクターですが
なかなか、この人たちがどういう立場の人間なのかわかっていなかったり、また誤解されていたりすることが多いと思います

まず与力同心たちが奉行所に正式に所属している人たちだとしたら、
岡っ引きは全く正式な構成員ではありません
岡っ引きなどという呼び方ももちろん公式なものではなく、
小者、目明し、手先、口問い、御用聞き…など様々に呼ばれていました
呼び方に明確な区別もあるようなないような…
地域性などもあるようですが、その辺はアバウトでした
なんたって同心個人が自分たちの仕事を手伝ってもらうために私費で雇うような、
ついでに言うと奉行所の門すらくぐっちゃいけない連中なので
誰が何と呼ぼうが別に関係ないんです

同心が私費で雇うと言いましたが、
やはり同心たちも少ない人員でやっていますから、
こういう連中を雇わないとなかなか厳しかったようです
中にはゆすりたかりなど日常茶飯事のろくでもない奴もいて、
たびたび問題になり、岡っ引き禁止令などもよく出されたようですが、
あまり効果はなかったようです
上の人間が全く根本的な解決策を考えてなかったんでしょうかね…

ちなみに奉行所の人員の少なさは、
江戸の町役人をはじめとした自治組織が今よりしっかりしていたので
それでカバーできていた面があったと思います


奉行・奉行所という言葉

〇〇奉行と名のつく役職は数ありますが、
特に政治の中枢を担う
江戸の三奉行」
って言葉があって、
それが勘定奉行、寺社奉行、江戸町奉行になるわけですが、
勘定奉行は江戸城内の勘定所が職場で、寺社奉行は担当者の役宅がそのまま奉行所扱いになるので
単に奉行所と言ったら町奉行を指すことが多いです
庶民にも一番馴染みがありました
同じく、単にお奉行様と言えば、町奉行になります

奉行所というのは全国にあり、
幕府に限った話をすると、幕府が全国に持っている領地の行政を担う、
いわば支所みたいな、遠国奉行とよばれるものがあります
大坂・京都・駿府は「大坂町奉行」みたいに、「町奉行」ってつきますが、
長崎・伏見・堺・奈良・山田・日光・下田…などは「町奉行」とはつきません
単に「長崎奉行」などといいます
「町奉行」とつくのは、大坂城代や京都所司代など、奉行所以外に城や大きな行政機関がある場合、役割を区別するためだと思われます
話が少し細かくなりましたが、
江戸町奉行はそれら奉行所の中でも別格扱いの要職でした

しかし、「奉行所」という呼び方はあまり使われず、
「御番所」とか「御役所」と呼んでいたようです
今でも「役所」という言葉の方が馴染みがありますね


参考文献

「図説・江戸町奉行事典」笹間良彦(柏書房)




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