【ヴァイキングの歴史②ヴァイキングのイングランド侵攻】アニメ「ヴィンランドサガ」予備知識

ヴァイキングの歴史 歴史のお話

目次

ヴァイキングのイングランド侵攻の歴史を見る

前回ヴァイキングが歴史に姿を現すまでのおおまかな流れを見ていきましたが、
今回は具体的なヴァイキングの進出の中でも
アニメ「ヴィンランドサガ」と関わりの深いであろうイングランドへ行った人々の歴史を見ていきます

9世紀ごろにはじまる北欧ヴァイキングの進出ルートは主に東と西に分かれます
東に進出した人々は,東ヨーロッパ、ロシア方面に進出していきます

そして西はブリテン島や西ヨーロッパに進出します
その中でもヴァイキングと関わりが深いのが、今回取り上げるイングランドです


アングロサクソン七王国

ローマが去った後のイングランドはゲルマン民族の一派であるアングロサクソン人達が流入し
すったもんだの末に七つの王国に分かれました
これを「アングロサクソン七王国(ヘプターキー)」といいます

ただし、この頃からすでにウェールズやスコットランドは別モノなんですね
同じ島国の日本人でもよくワカラン部分でありますが、
その辺りの話は脇に置いといて、今回はイングランドの話だけします

アングロサクソン七王国時代

七王国のなかでも、ノーザンブリアマーシアウェセックスが特に強い国で、
7世紀から8世紀はノーザンブリアが隆盛を誇り「ノーザンブリアルネサンス」と呼ばれるキリスト教文化が花開きます
8世紀から9世紀のはじめマーシアが頭一つ抜け出します
マーシアの王オッファはウェールズとの国境線に「オッファの防塁」という長大な防壁を築くなど、
「レクス・アングロルム(全アングル人の王)」と名乗るほどの力を持ちます

その後、825年、ウェセックスの王エグバートがマーシアを破ると
その勢いでウェセックスがイングランドの覇権を手にします

このウェセックスがまさに七王国の覇権を打ち立てんとしている時期に
ヴァイキングのブリテン島への侵略が始まります


ブリテン島へのヴァイキング来襲

前回も少し触れたリンディスファーン島へのヴァイキングの襲撃が793年
その後830年代ごろから相次いでデーン人を中心としたヴァイキングが襲来するようになります

しかもヴァイキングの活動はどんどん組織的になり
襲撃の矢面に立たされている北東方面から徐々に防衛困難な状況になっていきます
そしてグスルムという総大将が軍を率いるようになると、
さらにヴァイキングの勢いは増し、諸王国の中で独立を守っているのはウェセックスのみとなってしまいました

しかしアングロサクソン側も負けてはおらず、
ウェセックス王のアルフレッドという英雄が現れます
先ほどでてきたエグバートの孫です
彼はデーン人たちの戦術や造船技術などを情報収集するなどして強力な軍団を整え、
戦に次々に勝利をおさめ、ヴァイキングの勢いを押しとどめます
このことからアルフレッドは今でもたびたび「英国海軍の父」と呼ばれているそうです

ちなみにアルフレッドは臣下にオウッタルというノルウェー人を雇っています
オウッタルは豪族であり、交易者であり、農民であり、捕鯨者であり、冒険者でもあるという
ザ・ヴァイキングと言っていいような人物で、
その情報は大いに興味深いものだったでしょう
同時にスカンジナビア人のポテンシャルの高さに戦慄、あるいは敬意を覚えたかもしれません




デーンロー

878年、アルフレッドとグスルムの間で和平条約が結ばれます(ウェットモア条約)
これによりイングランドにはデーン人達の領域「デーンロー」という地域が生まれます
「ロー」は法律を意味するので、デーン人の法律が適用される土地ということです
七王国のひとつとして隆盛を誇ったマーシアなどはこれで分割され、歴史から姿を消します

グスルムはデーンロー内の土地をデーン人に分配し、彼らの多くは自給農民となりますが、
半数は大陸へ向かいこれまで同様、ヴァイキング活動を行ったようです

こうしてアングロサクソン社会の中に北欧の民であるデーン人達が溶け込んでいきました

その後10世紀前半にかけてアングロサクソン人たちは暫時デーンロー地帯を奪還し、
この頃には王様たちは「イングランド王」を名乗るようになります

デーンロー


さらなるヴァイキングの来襲とデーンゲルド

10世紀後半になるとやはりノルウェーやデンマークから大規模なヴァイキング勢力がイングランドに来襲するようになります
イングランド(ウェセックス朝)の王はエゼルレッド2世の時代になっていました
度重なるヴァイキングの来襲に苦しむ王は、
国内のデーン人の傭兵を雇ったり、巨額のお金を払ってヴァイキングに退去してもらうという苦肉の策を取ります
この時支払われたのはアングロサクソン人から徴収した税金
この税金を「デーンゲルド」といい、イギリスの歴史に残る悪名高い屈辱的なものになりました

しかもこの政策は逆効果で、
イングランドがさして抵抗もしてこない金ヅルなら、お金欲しさに再三攻め込んでくるのは当然の結果で、
ヴァイキングの勢いを削ぐことなどできませんでした

その結果エゼルレッド2世は「無策王」「愚鈍王」などというトホホなあだ名で呼ばれてしまっており、イギリス人には人気がないようです




本気になったデンマーク王スヴェンのイングランド侵略

デーン人の王スヴェンは、現在我々がよーくお世話になってるBluetooth(ブルートゥース)の語源となったハーラル1世(青歯王)の息子です
その父に反乱を企て追い落とし、後にスウェーデンも支配しようとするなど、野心多き王でした

そんな野心家の王が、エゼルレッド2世の治めるイングランドにいよいよ本腰を入れて侵略を開始します
原因はエゼルレッド2世が国内のデーン人へ虐殺を行ってしまったことで
ノルウェーやスウェーデンの軍も含めた大軍勢でイングランドへ攻め入り、
10年でほぼ制圧してしまいます
エゼルレッド2世はノルマンディーへ亡命し、スヴェンがイングランド王の座を手にします
1013年のことでした

その翌年スヴェンが急死すると
エゼルレッド2世は亡命先から戻り、イングランド王に返り咲きます
しかしスヴェンの息子クヌートが再びイングランド侵攻を開始します

エゼルレッド2世が病没すると、息子のエドマンド2世が王位につき、
クヌートとの熾烈な決戦が始まります
エドマンド2世はその強さと奮戦ぶりから「剛勇王」と呼ばれています
父親のディスられっぷりとはえらい違いです

1016年、エドマンドはなんとか和平を結び、ウェセックスの領土を確保し
ライン川の北がクヌートの領土になります
そして先に死んだ方が生きている方に領土を譲るという
少なくとも日本じゃ聞いたこともないような確約を結びますが、
悲しきかな、エドマンドはすぐに亡くなってしまいました
暗殺というのも十分あり得ることです

そしてクヌートが正式にイングランド王の座につき、
その後デンマークとノルウェーの王座も手に入れます
クヌートが手に入れた広大な領土は「北海帝国」と呼ばれ
まさにヴァイキングの帝国が生まれたのでした


「ヴィンランドサガ」ではスヴェンやクヌートなどが登場するようなので、
この辺の歴史をざっと押さえておけばより楽しめるんじゃあないでしょうか

もともと自分もスカンジナビア人になぜか惹かれるものがありました
今回歴史を調べてみるとますます興味が沸いてきましたんで
また今度何か書くかもしれません


参考文献

「図説イギリスの歴史」指昭博(河出書房新書)
「ヴァイキングの歴史」熊野聰(創元社)




タイトルとURLをコピーしました