目次
越前松平家って?
●映画「引っ越し大名」では
前回の「【江戸時代の基礎知識】【転封・改易】と同じく、
映画「引っ越し大名」の掘り下げとして
今回は映画の舞台となる越前松平家を見ていきます
映画で出てきたあの、及川光博演じる松平直矩が治める大名家…
あれは一体どんな家なの?
エラいの?下っぱなの?なんなの?
そういった疑問を紐解いていきます
●映画の時代背景
まず映画の時代背景を見ますと
天和2年(1682年)藩主は松平直矩、領地は姫路でした
なので〇〇藩という呼び名で言い表す場合、姫路藩ということになります
この「藩」というのは場所で言い表すので、
前田家の加賀藩や、島津家の薩摩藩のように、江戸の初めから終わりまで国替えもなく済んだ藩ならば非常にわかりやすいのですが
多くの大名家、特に譜代大名はコロコロ国替えさせられるので
〇〇藩という名前もコロコロ変わります
なので家名で呼んだほうがわかりやすい場合があります
●「松平家」はややこしい
「松平」というのは言わずと知れた徳川家康が生まれた一族で
家康が生まれる前から三河(愛知県南部)にすでにたくさんの分家がありました
ですから「松平」の上にその地名をのっけて区別します
桜井松平、深溝(ふこうず)松平など………
とにかくめちゃくちゃ多いので覚えられません
越前松平の場合は関ケ原以後にできたので最近の松平ということになりますが
今までの松平とは規模や事情が異なります
なんといっても「越前」は、どこそこの市町村レベルではなく、国ですから(今の福井県)
その辺の事情を順に追っていきましょう
家康の次男 結城秀康
●秀吉の養子に
越前松平家のルーツは徳川家康の次男、結城秀康(ゆうきひでやす)にさかのぼります
家康の息子といえば、戦国時代に切腹させられた長男の信康や、
二代将軍になった三男の秀忠が有名ですが、
次男の秀康は一般的にはあまり知られていません
結城秀康は天正2年(1574年)家康が浜松を本拠としていた頃に生まれました
三男の秀忠よりも5歳年上の兄です
天正12年、秀康は小牧長久手の戦いの和睦条件として羽柴秀吉の養子になります
実質は人質としての養子縁組ですが、
羽柴秀康として多くの戦いで武功を上げた、まさに戦国武将です
その後、秀吉に臣従した鎌倉時代からの関東の武家の名門「結城家」の養子になります
本拠地の結城城は茨城県の北西、栃木県との県境の近くにあります
ここで彼が終生名乗る「結城秀康」という名前になります
●北の関ヶ原
秀吉の死後、全国の大名を巻き込む関ヶ原戦役が始まると
秀康は実の父である家康に従います
西軍が挙兵した時、家康は上杉討伐のため、秀康の結城城のすぐ西
小山(栃木県小山市)の小山城に自軍の兵を入れていました
家康・秀忠と、味方諸将が西軍を討つため西へ引き返しますが
この時秀康は北の宇都宮城に入り、
蒲生秀行や伊王野資信ら那須衆などの諸勢力からなる留守部隊の大将として、
南方面から上杉をけん制する役目を任されます
上杉はそもそも、家康がこれから攻めようとしていた大名であり、アンチ家康派の急先鋒
おまけに120万石の大勢力です
最上義光、伊達政宗など東北の家康派の軍勢がにらみをきかしますが
合戦になったら相当厳しい相手
状況次第では秀康はここで滅亡してもおかしくありませんでした
しかし後に北の関ヶ原といわれたこの東北戦線に家康の次男がいるというのは
大きな意味があったに違いありません
その後、東北での戦は主に最上軍と上杉軍が激しい戦いを繰り広げますが、
上杉軍が西へ押し出す事態にまではならず
関ヶ原での東軍の勝利の知らせをもって終結
秀康が守る白河口では伊王野資信と上杉軍の小規模な戦があったという記録が残るほかは
目立った戦闘はなかったようで、
秀康は九死に一生を得た形となりました
●福井藩・越前松平家のはじまり
直接戦闘はなかったとはいえ、これは秀康にとって大きな功績でした
秀康は越前(福井県)北ノ庄68万石という大藩の大名となります
そして、かつて信長の重臣・柴田勝家が築城した北ノ庄城を大規模に改修し
徳川の大城郭を作り上げます
北陸の交通と物流の要衝であるこの地を徳川の一門が抑えることで加賀前田家などに目を光らせる狙いもあったでしょう
三代藩主の時にこの地は「福居」と改名され、
いつの頃からか「福井」となりました
家康に嫌われていたという説もある秀康ですが
この処遇を見れば家康がかなり信頼を置いていた武将だったということがわかります
将軍になれなかったのは単純に秀忠と比べて母の身分が低かったことと
養子として徳川を離れていた期間が長く
大名として自立していたからでしょう
ともあれ、これにより結城秀康を初代の藩主とする福井藩・越前松平家が誕生します
秀康は結城姓を捨てませんでしたが、二代目からは徳川の血筋として松平を名乗ります
つまりこの越前松平家は家康の実の息子の藩なので、御三家にも匹敵する力をもつ親藩大名なのです
「でもその割に映画では殿様の扱いが軽いな…」
という疑問が湧いてくるのは当然なので、その辺りの事情は次回以降、見ていきましょう
おまけ
結城秀康を扱った小説を紹介
「家康の子」植松三十里(中公文庫)
家康と秀吉、二人の天下人の政治的駆け引きの中で
難しい立場を生きる武将の複雑な心情を描いた作品
秀康についてはあまり物語で描かれる事は少ないので、貴重かもしれません
参考文献